三方(さんぼう)について
三方は、神社でお供え物を載せる台の名称です。
胴の三方向に眼象(げんじょう)という穴があるところから三方(さんぼう)と名づけられました。
四方向に眼象がある四方とともに、食膳として使用されていましたが、後世、神事には三方を使うようになりました。
四方や三方の名称の起こりについては、古い書物には見当たらず江戸時代の「松屋筆記(1815年頃~1846年頃)」や「中右記(1087年~1138年)」に現行の「三方・四方」と相違はありますが、今日の三方・四方にあたる食膳がみられることから、平安中期以後に起こったという説が有力です。
四方と三方の使用例
室町末期の「三光院内府記」に
大臣以上は”四方”大納言以下は”三方” なり。・・・・・。
引用元:三光院内府記
とあります。また、
金刀比羅宮(香川県)所蔵の「なよ竹物語絵巻(鎌倉後期頃)」には 天皇の前には「四方」が置かれ、一段下がった招待者にはそれぞれ「三方」が用いられている場面が描かれています。
この事から既に鎌倉時代には宮廷でも食膳として四方・三方が使われていたことがわかります。
この絵巻の三方は、穴の無い方を人に向けて据えてあり、これが神社で穴の無い方を神様に向けて用いている理由とされています。
二方・一方・供饗(くぎょう)について
穴が2つのものを二方(にほう)、穴が1つだけのものを一方(いっぽう)、穴が開いてないものを供饗(くぎょう)と言います。
二方のこと 三方のごとくにして”すかし”を前後の二方へ明たる也。是は三位ならぬ人に用ゆると云。其品伝はらず。
一方のこと 右に同じ。前に計”すかし”有也。一説には二方は四位の人。一方は五位の人と云へども其品伝らざれば容実知らず。引用元:調度口伝
とあるように二方・一方は、名前だけが存在して実物は伝わっていません。穴が全くない供饗(くぎょう)は、四位以下の人が用いるという説もありますが、食べ物を運ぶための台を指していると考えられています。
どうして四方ではなく三方を神社では使うのか?
菊宮神社や高千穂神社、香取神宮など一部の神社では四方を用いていますが、大半の神社では四方ではなく三方を用いています。
「四方」が上位でその次位が「三方」であるならば、神様に対して用いるのは「四方」こそがふさわしい考えるのは自然の流れです。
もともと「三方」が広く用いられるようになったのは鎌倉時代の頼朝以来のことです。質実質素を旨とする武家精神に基づいて、出陣や主要儀式の食膳に始まります。
それが長く徳川時代にまで踏襲された背景があります。
公方(くぼう)様(将軍のことです)は”四方”御用なく”三方”也。
引用元:調度口伝
とあるように質素倹約を旨とする武家では将軍をはじめ全員が「四方」ではなく「三方」を用いていました。
約700年続いた武家の風習が広く浸透していった結果、三方ではなく高坏(たかつき)を用いていた神社も時代に推され三方に変わっていったと考えられています。
現代のように全国の神社で「三方」が用いられるようになったのは、野菜などをそのままお供えする「丸物神饌(まるものしんせん)」の普及と明治8年 政府によって立案交付された「神社祭式」に起因するとされています。
宮中祭祀で主要な神饌(しんせん・お供え物の事)は「折敷高坏(おしきたかつき)」か折櫃(おりびつ)が用いられることを考えると、神社でも三方より高坏や折敷高坏の方が相応しいと言えます。
大前神社(栃木県真岡市)では、年に一度の例祭(毎年 11月9日と11月10日)には現在も高坏を用いてお供えがなされています。歴史に想いを馳せながら祭典を見るのも一興で楽しい気分になります。
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