有職とは
有職は「ゆうしょく」「ゆうしき」「ゆうそく」「ゆうそこ」と読まれています。
博識であるとか、物知りであるという意味からおこったのですが、平安中期ごろから朝廷の法律や古事、旧例に精通した人を指す意味に変わってきました。
こういう人を「有職者」や略して「職者」と言うようになりました。
また人だけに限らず法律や古い制度や古事それ自体を指すようにもなりました。
有職の「有」は保有の意味ですが、問題はその次の「職」の文字です。 その点についても触れておこうと思います。
有職は「職」?それとも「識」?
職はもともと言遍の「識」が後世になって耳偏の「職」に変わったとされています。それは文献を考察するとよくわかります。
まず平安末期の藤原為隆著「永昌記」仁王会(におうえ)で言偏の「有識」が用いられています。
時代が下って鎌倉時代の順徳天皇親記「禁秘抄」でも言編の「有識」が用いられています。
耳偏の「有職」が登場するのは、鎌倉時代「吾妻鏡」からです。承元2年京都から鎌倉へ帰参した清綱の件がそれに当たります。
同じく「吾妻鏡」文暦2年6月30日の記事、その後の「古今著聞集」「徒然草」「職原抄」などいずれも耳編の「有職」になっています。
文献によると鎌倉初期頃以降、言偏の「有識」が耳偏の「有職」になっており、これが言遍から耳偏に変わったと言われている理由です。
公家の有職
公家と言えば有職、有職と言えば公家が連想されるように両者は切っても切られない間柄にあります。
というのも有職を生み出したのは公家だからです。
貞観儀式、延喜式が有職の基礎となり、実際の指導に当たったのは公家で、公家の中でも藤原忠平(貞信公)の一男である実頼(小野宮)と二男の師輔(九条殿)が有職の宗家として、今日の小野宮流・九条流へとつながる事になります。
小野宮・九条殿の両流・・・・有職の家に習ひ伝へて、今は絶ゆることなし。」
引用元:今古著聞集
とあるように朝儀・公事は主にこの両流が長く司ってきたことがわかります。 兄の実頼は太政大臣にまで昇り、弟の師輔は「九条年中行事」「九暦」などの著書を残しています。
この小野宮、九条殿と同じ時代に醍醐天皇の皇子である源高明が「西宮記(せいきゅうき)」を執筆しました。
禁中恒例臨時の公事から服装・調度品に至るまで詳細に記され最も信憑性のある著述です。
というのも後世の「北山抄」「江家次第」という重要文献の根底をなすのが「西宮記」です。
凡そ恒例臨時の大小、西宮記、北山抄をもて其亀鑑にそなへたり。」
引用元:今古著聞集
とあることからもいかに重宝されてきたかがわかると思います。 公家の有職と言われる流れを知る為の文献としては順徳天皇の「金秘抄」、北畠親房の「職原抄」、一条兼良の「公事根源」の三著はおさえるべき文献です。
ちなみに代々有職を伝承している家として、蹴鞠道の飛鳥井家、和歌道の二条・冷泉の両家、筆道の持明院・石山・六角の三家、生花道の園家、包丁道の四条家、相撲道の五条家は有名なので、どこかでその名前を聞いた事がある方は多いのではないでしょうか。
武家の故実(こじつ)
平安朝から公家の礼式典故に「有職」の言葉を使い、頼朝以後武家の典故には「故実」の言葉を使っていますが、厳密に区別されているわけではありません。
「有職故実」と言って熟語の様に使うこともあれば「有職」「故実」を別々に使った事もありました。
武家故実が、鎌倉開幕以後に発生したとされる理由として、足利氏が鎌倉幕府の後を承け京都室町に幕府を構えたので公家・武家の交流がより緊密になり自然と武家が公家の有職に倣っていったことから「鎌倉開幕以後」という大きな枠組みになっています。
特に三代将軍が足利義満の頃は幕府の勢いも加わり「故実」を重んじるようになり、そこで武家故実が確立されました。 「南方紀伝」という室町初期94年間の記録には応永3年に、小笠原長秀、今川範忠、伊勢貞行等に命じて武家礼式を定めたとあります。
江戸時代になり太平の世が続くと、先例旧儀がより一層重んじられるようになっていきました。
また京都の公家と江戸の武家間との交流が盛んになった結果、公家の有職、武家の故実が対立的に確立されたものへとなっていきました。
このような流れで公家・武家それぞれの立場で研究の範囲も決まっていき武家の故実の家である「故実の八家」が誕生しました。
それが、小笠原・伊勢・吉良・一色・山名・今川・小池・渋川の八家です。
神社有職故実
平安中期以降に成立した朝儀を当時の年中行事で見ると、祭儀や神事が主要部分を占めていることからも神社と朝廷が深い関係にある事は容易に想像がつきます。
神社の建築や服装、調度、装飾、作法に至るまで、平安朝の形式を規準として行われているからです。
現在も神社で行われている鎮魂祭や鎮火祭、加茂・石清水・春日の三祭は平安朝そのままを今日に伝えいる事がよく知られているように、神社と平安朝の関係が深くなることで、公家有職と神社も深い結びつきで繋がっていくようになりました。
武家時代になると、将軍や幕臣、城主、藩主が神社を参拝するようになり社殿の造営、鳥居や燈籠の封建などにより武家故実とも密接な関係を結ぶようになりました。
有名なところで言えば上賀茂神社、鶴岡八幡宮、住吉神社(福岡)の相撲行事や流鏑馬がこれに当たります。
神社が古儀古風を尊重する理由はここにあり、現在でも神職を目指す方は「有職故実(ゆうそくこじつ)」という授業を大学や養成所などで必ず受けています。